待ちわびるあなたは - 2/3

Side:ナルト

 聞き馴染みのあるテンポが部屋の外から聞こえてきた。ガサガサと袋が擦れる音とともに。
 それらはまだ小さい音なのに、耳が勝手に拾い上げる。
「ン、帰ってきたってばよ」
 遠くに飛ばしていた意識を浮上させ、ソファから腰を上げる。
 今にも雪が降り出しそうな日に、片割れはこの時間まで仕事だった。朝も「家から出たくない」と、文句を垂れていたのを思い出す。
 寒さが苦手なサスケにとってこの季節は地獄だ。帰ってくるなり断りも入れず暖房の温度を上げるのは、想像に容易い。
 そんなサスケのために、おかえりのハグを用意することにする。とは言いつつこれは季節問わずにやっていることである。寒さに耐えかね、そのままキツく抱き返されるか、暑さに嫌な顔をされるかの違いがあるだけで。
 玄関に着いたとき、タイミングよく鍵を差し込む音がした。カチャ、と軽めの音がしたあと鍵が引き抜かれる。
 すぐに扉が開かないのは、買ったものをうまく退かしながら、カバンに鍵を仕舞っているからだろう。
 寒さで手が悴んでいるのか、あるいは買ったものが多いのか。少し時間がかかっている。
 今日ばかりはこうして出迎えても、暖房のリモコンへと一直線に向かってしまうかもしれない。寒い日でもハグが躱されるケースをここで思い出す。
 開かない扉に焦れ、こちらから開けてしまおうか、と思案する。ちょうどそのタイミングで、ドアハンドルを引く音と同時にゆっくりと扉が開かれた。
 そこには鼻先を赤くさせ、眉間に皺を寄せている想像通りの姿があった。暖房のリモコンに軍配が上がる未来が一瞬過ぎる。
「はぁ。寒ィ」
「サスケおかえり〜」
「ただいま、ナルト」
 玄関に入るなり大きなため息をこぼしたサスケを、笑顔で出迎える。
 不機嫌さを醸しつつ、なんだかんだと挨拶を返すところは律儀だと思う。
 サスケはそれぞれの手に大きなビニール袋をぶら下げていた。帰りがいつもより遅いと思ったら、なるほど納得。重さも相まり歩くスピードも落ちただろう。
 サスケが荷物を玄関の隅に置き、靴を脱ぎ始める。その姿を見ながら、差し出すかたちで両手を広げてみせた。
「ほら、おかえりのハグだってばよ」
 ン、と催促してみれば、靴を脱ぎ終えたタイミングで振り向いてきた。こっちを見てくれただけで、嬉しいと思ってしまう。どうしようもない。
 サスケを喜ばせようと出迎えたはずが、結果的にオレの方が求めている感じになっていた。
 暖房のリモコンに負けてたまるか、という気持ちを込めて、グッと腕を前に伸ばす。
「ほら、サスケ」
 その呼びかけに応えるようにサスケが立ち上がった。そのまま二人で向き合う。
 荷物を手に取る素振りはなく、両腕はオレの前へと伸びてくる。
 リモコンへの勝利、そしてサスケとのハグを確信した瞬間だった。
「ったく、顔がニヤけてんぞ」
 指摘されて頬に熱がこもる。相当顔が緩んでいたのだろう。恥ずかしさについ目を逸らそうとした。けれど、サスケが向ける表情があまりにも柔らかくて、捕らわれたようにジッと見つめてしまう。
 いつもなら勢いのままにハグをするだけなのに、今日はちょっぴり照れくさい。
 距離が縮まり、体が触れ合いそうになる。その光景はスローモーションのように流れ、どこか遠くで眺めている感覚を覚えさせた。
 ――チッ
 不意に聞こえた舌を打つ音に心臓が跳ねる。音の出どころを見やると、直前までの温かな空気が信じがたく思えるほどの、冷えた表情があった。
「サスケ?」
「あー、クソ……」
 オレの言葉を完全に無視したかと思えば、ボソボソと呟く。その呟きはよく聞き取れない。
 一瞬でなにが起きたのだろう。仕事で起きた嫌なことを唐突に思い出したのだろうか。それにしては不自然だ。
 すでにサスケは大きなビニール袋を手にして、リビングへと向かってしまった。ピピ、と遠くで音がする。きっと暖房の温度を上げているのだろう。
 そうして置き去りにされたオレは、しばらく玄関に立ち尽くしていた。

「ほら見ろ」
 風呂から上がったサスケが言った。急いでいたのか、髪も乾かさずにリビングへと戻ってきた。
 水滴がポタポタとフローリング材に落ちるのが目に入る。普段から「風呂から出たらすぐにドライヤーしろ」と注意するくせに、らしくない。
 そんなサスケが切迫した様相で見せてきたのが、大きなビニール袋の中身。大量のカップラーメンだった。
 見たこともない数にはしゃいだ声を上げる。
「おお〜! すげェ!」
「どれでも好きなもん食え。全部お前のために買ったからな」
 テーブルの上を埋め尽くさんばかりのカップラーメンたちを並べながら、サスケはそう言った。
 こんなにカップラーメンを買ってきてくれるなんて、初めてだ。いつも「そんなもん食ってないで野菜を食え」と、トマトを押し付けたりしてくるのに。
 今日はなにかの記念日だっただろうかと記憶を辿るも、付き合い始めた日でもないし、二人の誕生日にも掠っていない。
 気になってパッケージをよく見れば、オレがいつも食べているもの以外に、ご当地ものや人気で手に入りにくいものがたくさんあった。とても一日で買ってこれるようなラインナップではない。
(つか、今日は仕事行ってたんじゃなかったっけ)
 うっすらとした違和感が明瞭になり、疑問へと変わる。
 ひとりで思考を巡らせても答えが見つかる気がしない。
 思わず眉にしわをよせる。
 そんなオレの様子に気づくこともなくサスケはなおも続けていく。
「これ、食いたいって言ってたやつだろ。買うのに苦労したんだからな」
 カップラーメンがぎっしりと置かれたテーブルを見渡し、静かに目を細めた。そして笑みをたたえたまま、サスケは振り返る。
「お前のためなんだ」
 言い聞かせるように発した言葉は、オレの脳で響いて離れない。どろりとした質量を持った、そんな声に不快感が走る。
 オレのため?
 それならどうして、背を向けてくるんだよ。
 オレはここにいるのに。

 サスケはなにを見てるんだ。

 

Side:シカマル

 うずまきナルトとうちはサスケ。
 オレはこの二人とは幼い頃からの知り合いで、いわゆる腐れ縁であった。
 ただ、自ら交友関係を狭めていた節があるサスケが、どう認識しているのかは知らない。
 一方ナルトはサスケとは違い、友だちには積極的に関わる方だった。大雑把なところもあったが、快活で情に厚い性質から、アイツの周りにはいつも仲間がいた。
 オレも何度か救われて、オレにない強さを持つナルトを尊敬していた。恥ずかしくて表には出せなかったけれど。
 きっと、サスケも同じだったのだろう。交友関係を広げない代わりに、いつもナルトにべったりだった。高校卒業後に同居の話を持ち出すくらいには。
 そこに突如訪れた、ナルトの――死。
 聞かされたのは土曜の朝、サスケからのメールで。残業明けの休日をゆっくり過ごそうと思っていたときのことだった。
 聞くと、オレに連絡が届いた時点で、亡くなってから二週間が経過していたらしい。
 どうしてもっと早く連絡をくれないのだと、我慢ならずに電話をかけた。情けない話、早々に大切な友を亡くしてしまった悔しさを、怒りの感情に任せてぶつけていたのだ。
 電話に出たサスケの声はいつも通りな様子で、余計に腹が立った。
 親族もいなかったため、葬儀は執り行わず、火葬だけしたとのこと。
 旧友にすら最期の言葉をかけさせてくれなかったサスケに、さらに怒りが湧いた。
「せめて墓参りをさせろ」と詰めるとサスケは言った。
『ナルトの墓? そんなものはない。ナルトがひとりで暗いところにいるなんて、可哀想だろう』
 その言葉に怒りが一瞬にして鳴りを潜め、頭がクリアになっていく。けれど、肝心な脳は相手の言葉を処理しようとしてくれない。沸々となにかが茹っていくのを感じていた。
 口の中に溜まった唾をゴクリ、と飲み込んだ。思った以上に耳に響いたが、電話越しの相手には聞こえただろうか。
 サスケはオレの様子を気にも留めずに畳みかけていく。
『死ぬときは一緒だ、と言ったんだ。もちろん墓に入るときも』
『ナルトがわざわざオレを置いて、じめついた場所に閉じこもるなんて、それこそありえないしな』
『コイツはオレから離れられないんだ』
『でも、オレが自殺を選んだら怒るに決まってる』
『なあ、そうだろ? ナル――』
 通話終了のボタンを押した指は、そこから動かせなかった。ツー、ツー、と一定したリズムの機械音が部屋に響く。けれど耳に残るのはサスケの声だ。
「……っは、」
 息をするのも忘れていたようで、ひとつ呼吸を吐くと、箍が外れたように肺が酸素を求めた。
 オレは寒さで身を抱きしめた。ヒヤリとしたものが頬を伝う。
 これは恐怖だ。
 大切な仲間を亡くした悲しみは同じだと思っていた。けれど、オレが思っている以上にアイツの傷は大きかったらしい。
 チグハグな言葉たちが脳裏から離れない。

 サスケは壊れていた。

 

Side:サスケ

 その名を呼ぶと、オレの声に嬉しそうに振り返る。
「なんだってばよ?」
 その様が可愛くて、愛おしくて、思わず口角が上がる。
 それにバカにされたと勘違いしたのか、頬を膨らませ、潤んだ瞳で睨みつけてくる。まったく威圧感がない。
 ここで素直に「可愛かったからつい」なんて言えたらいいが、腐れ縁で拗らせた時期が長かった分、まだ度胸がない。
 そんな天邪鬼な自分をもどかしく思いながらも、愛する片割れに疑問を投げかける。
「この前カップラーメンたくさん買ってやったろ。全然減ってないが……気に入らなかったか?」
 以前食べたいと言っていたものを全て買い揃えるのには苦労したものだ。ネット販売をしていない、現地限定商品ばかり強請るものだから。
 そうして大量のカップラーメンを買って帰った日、ナルトは大いに喜んでくれた。あの笑顔を見たら、疲れなど一瞬で消え去ってしまった。オレは随分とナルトに甘い。
 それでも、食べてもらわないとカップラーメンは意味をなさないわけで。一向に減らずにテーブルの上を埋め尽くすラーメンたちを見て、ついに口を出してしまった。
 するとナルトは申し訳なさそうな顔をして、オレに言う。
「ほんとは食べたいんだけど……」
 その答えに思わず顔を歪めた。「なんだ?」と聞こうとしたところで、再びナルトが口を開く。
「あのさ、食べるならサスケと一緒に食べたい。本当は……、現地限定商品だって、サスケとの旅行のお土産に買いたかったんだ。オレたち、ゆっくり旅行とかしたことねーだろ?」
 寂しさを滲ませた口調でそんなことを言われたら、堪らなくなる。
 ナルトも普段口にはしないが、オレのことを特別な存在として見てくれている。それがとても嬉しくて、身体中が茹る。
 この熱をナルトにも感じてほしくて、抱き寄せるために腕を伸ばした。
「……」
 腕は空を切った。いるはずの存在が、目の前にいなかったからだ。
 またやってしまった。
 ナルトを失ってから、こうしてナルトの幻想を見るようになった。それは日に日に強さを増している。けれど体に触れようとすると夢から覚めるのは変わらない。
 ふと、視界の隅にカップラーメンが映る。ボーッと眺めていると、虚しい感情が心を覆い尽くしていく。
 この量を一体、誰が食べるんだ。
 もともとオレは、カップラーメンは好きじゃない。
 ナルトが死んでから仕事に身が入らなくなり、無断欠勤を続け、ついにはクビになった。その分たくさんの時間を使って幻想のナルトに尽くしても、アイツは帰ってこなかった。
 けれど脳は言うことを聞かず、ナルトを求め続けている。
 この際、幽霊だってなんだっていい。ナルトに会いたい。
 幻想を見すぎているからか、それともただの願望か、近くにアイツがいる気がするのだ。
「ナルト……会いたい」
 ぽつりと小さく呟いたはずの言葉は、部屋の中で反響し、耳にこびりつく。
 この狭い一室は多少ボロくさいが、オレたちにとっての城だった。
 そろそろとカップラーメンを片し始める。曜日感覚を失って、いつが燃えるゴミの日なのかわからない。けれど確認する気にはなれなかった。
 ――それ、捨てんの?
 ああ、また聞こえてきた。もううんざりだ。
 まるで麻薬のように、この幻覚から抜け出せなくなっている。
 ナルトのいる夢が幸せな分、現実に戻るたびに心が冷えていく。離れられない、離したくないと強く願ってしまう。
 そうしてオレは繰り返す。
「……そうだ。お前が食わなかったら邪魔になるだけだろう」
 ナルトの言葉に答えてしまえば、そのまま夢の中へと浸かっていく。
 目の前にはやはり、想ってやまない存在がいた。
 オレはまた、麻薬に手を伸ばしてしまったのだ。
「そんなぁ〜! せっかくサスケが買ってきてくれたのにぃ」
「フン」
 涙目で訴えてくるナルトには、やはり威圧感はない。子犬が甘えてきているようで、腰が甘く痺れる。
 でも、触れたらこの夢は終わってしまう。
「サスケ」
 改まった声に少し体が跳ねた。オレの告白に応えてくれたときに聞いて以来だ。
 思わず身構えるも、ナルトはくすりと笑ってオレの緊張を一瞬にして取り払った。
 安らぎをもたらすその笑顔は、何度もオレの心を溶かしてくれた。懐かしく、ずっと見たかった表情を前に、頭がくらりとする。
 目の前のナルトは、オレが喜ぶ言葉をくれるだろうと確信した。
「オレ、サスケのそばにいるから」
 そう言って、ナルトから抱きしめてきた。直接耳に届いたような感覚に目を見開く。
 期待以上の言葉に枯れたはずの涙がころころと頬を滑り落ちていく。
 きっと願いが叶ったんだ。ナルトが帰ってきてくれたんだ。
 そうしてオレはそっと抱き返す。
 ギュッと体を締め付ける感触に頭の隅で違和感を覚えながらも、目を逸らした。
「ずっと、一緒だ」
 オレは腕の中の存在を抱きしめ続けた。