ヨメイ*連載中 - 3/4

第一章 迷

一.

 息が詰まるほど静かな夜道をひたすら進んでいく。ザリ、ザリ、ザリ、と二人分の足音だけが耳に響く。何十分、いや何時間歩いたのだろう。
「なあサスケ。面白い話しろよ」
「あ?」
「気を紛らわせるためにさ。な?」
 沈黙に耐えきれず、無茶振りをしてみた。当然、サスケからは不満の声が上がった。
「お前が話すならまだわかるが、なんでオレに振るんだ。勝手に喋ってろ」
「うわ、つめてーの。じゃあ手ェ繋げってばよ」
「『じゃあ』の意味がわからん。怖がりも行きすぎると困りもんだな」
「うっせ」
 恥を捨てて頼み込んでみたものの馬鹿にされただけで終わってしまった。本音を言えば抱きつきたいぐらいなのだが、この調子だと愛想尽かされかねないので心に留めておく。恋仲というわけでもないし、なんならそういった感情があるわけでもないから当然といえば当然だろう。ただこの恐怖を少しでも和らげることができるなら、野郎の身体でもなんでも抱きしめられるといだけだ。簡単にいえば猫の手も借りたい。仕方がないので自分で自分の体を優しく抱きしめた。
「おい見ろ」
 サスケが口を開いた。指差す方を見ると、真っ直ぐに伸びたライトの白い光が見覚えのあるシルエットを浮かび出していた。
「家、か? うん、家だってばよ!」
 暗がりでぼんやりとしか見えないが、家の形をした建造物がいくつか見える。けれどそれらは慣れ親しんだ木造の家ではなく、教科書で見たような背の低い三角屋根――サスケに聞いたところ《茅葺屋根》と言うらしい――の家だった。
 近づいても家の輪郭が見えてきただけで、中からの灯りはない。まだ奥にも家はあるようなものの人の気配はしなかった。
 ついに我慢ならなくなってサスケの腕を掴む。サスケは何も言わなかった。
「な、なあ。なんだよここ」
「オレに聞くな」
「畑もあんなんだし、変な家ばっかりだし、誰もいねェし、」
「だから。オレに聞くな。まだこの道は続いてる。少し進んで何もなかったらここに戻って家を調べるぞ」
「……わかったてばよ」
 サスケがいて本当によかったと思う。いつもは喧嘩ばかりで憎まれ口も多いけれど、頼りできる男なのだ。サスケがいればなんとかなる気がすると思えるから不思議だ。
 しかし未だに振り払われない腕を見て、サスケも少なからずこの現状に怯えているのではないかと思案する。サスケだって無敵じゃないし、少しは怖いと思っているのかもしれない。
 そうしてしばらく進んだもののなにひとつ変わったものはなかった。ひたすら歩いているうちに山の麓に差しかかったようで道が途絶えてしまった。
 その後予定通りそのまま引き返し、二人は件の家の玄関前に立っていた。
 改めて近くで見ると、やはりこの建物は現代の木造建築ではないようだ。いわゆる古民家。ボロついた茅葺屋根にガタついた引き戸、破れた障子。人影がないのも納得がいく状態だった。
「オイ! 誰かいないのか!」
「わ、ちょっとサスケッ、急になんだってばよ!」
 突如響いたサスケの声にナルトの心臓が止まりかけた。ただでさえ恐怖で縮こまっている状況で、意図しないかたちであっても驚かすのは勘弁してほしい。
「もし人がいたとしたら助けになってくれるかもしれねェだろ」
「そうかもだけど……」
 サスケの大声に返事はない。どころか恐ろしいほどの静寂は保たれたままだ。風もなく、木々のざわめきすら聞こえない。隣にサスケがいるにも拘らず、ナルトをひどく孤独な気持ちにさせた。
「入るぞ」
「えっ、今なんて? この中に入る?」
「そうだ」
 突拍子もない提案に身体が固まった。見るからに怪しい雰囲気を放つこの家に入る度胸は、生憎持ち合わせていない。かといってサスケだけが入ることになれば一人寂しく外で待っていないといけなくなる。それも避けたい。明るくなるまでの間二人でジッとしていたいのが本音だ。
 怯えるナルトを無視し、サスケは続ける。
「ここで突っ立ていてもなにも変わんねーだろ。運がいいんだかここには人がいなさそうだからな。一晩ここで休んで、明日から本格的に動くぞ」
「い、いや、待てよサスケ! こんなわけわかんねートコに入れるかよ!」
「じゃあ外で寝るか?」
「……」
 雰囲気に飲まれ考えていなかったが、ここで外で日の出を待つのはつまりそういうことだ。砂埃に塗れながら野晒しの外で眠るか、屋根だけでも確保されている家の中で眠るか。寝ないで明日が来るのを待つというのも一つの手だが、それはあくまで最終手段だ。底なしと言われるナルトの体力も、この一日で蓄積したストレスによってだいぶすり減っている。少しでも休息を取らないと動けなくなるのは明白だろう。
「今は眠たくなくてもいずれ眠気がくる。万全な状態で動けるに越したことはない。それにその足、痛むんだろう? 庇って歩いてるのはバレバレだ。そういう意味でも休めって言ってんだよ」
「気づいてたのかよ」
 事実、この足の痛みも限界がきていた。なるべく気付かれないようにしていたはずがお見通しだったらしい。
 サスケの気遣いは照れ臭くもありがたいと改めて思う。口は悪いが優しいやつなのだ。
「それに、もしかしたらこの現状が夢でしたってことになるかもしれねーだろ」
(……本当にそうだったら)
 起きたら自宅のベッドで、ふかふかな毛布に包まれていて。微睡のなか二度寝をする。この際明日が学校だとかどうでもいい。安心できる空間で心ゆくまで眠りたい。そう考えたら、家の中にちょうどいい眠れるスペースが見つかるかもしれないと思えてくる。こうしてサスケに背中を押されるかたちで家を調べることになった。
 目前の家は暗闇の中でも存在感を強く放っていた。まるでここが現実であると突きつけているような。思わず尻込みしてしまう。
「入らないのか?」
「は、入る!」
 サスケの声に一瞬息を詰まらせる。
 なけなしの罪悪感から「お邪魔します」と声をかけ引き戸に手をかける。けれど歪んだ板は言うことを聞かずにその場でガタガタと揺れるだけだった。力はある方だと思っていた分、ムキになってしまった。微動だにしない引き戸と意味のない格闘を続ける。
「ぐっ、この! なンで、こんなっに! 固ェんだ……!」
「どけ」
 しばらく踏ん張っているとサスケに肩を押された。勢い余ってそのまま転げそうになる。たたらを踏んでなんとか持ち堪え、文句の一つでも言ってやろうかと振り返る。すると視線の先ではサスケが引き戸の隅から隅まで食い入るように見ていた。
「もしかしてサスケがやんの? ――えぇっ!」
 ドンッ、バタンッ。
 一瞬の出来事に理解が遅れるも、頭を殴りつけるような衝撃音で状況を理解した。サスケが引き戸を蹴り破ったのだ。扉を一枚壊しただけで、ふう、と一仕事終えたあとの爽やかさを醸すサスケに思わず顔をしかめる。ここでモテる男の資質を見せたところで、残念なことに黄色い声は一つも上がらないのだ。
「開いたぞ。先に中へ……なんでそんな顔してるんだ」
「べ、つにぃ。お前には関係ねーってばよ」
「はあ?」
 呆れるサスケを置いて中に入る。本当は先に入ってほしかったけれど、勢いのままズンズンと進んでしまった。感情で動いてしまうのはナルトの悪いところだった。

 

二.

 入口を潜るも中は暗く、肉眼では内部の構造を確認できなかった。後から入ってきたサスケがスマホのライトで照らす。光を浴びた場所は濃い影を落としながらその姿を現した。
 年季のせいか、家の中も草臥れているように見えた。充満する埃の匂いに思わず鼻を抑える。
 床や壁がところどころ剥がれ落ち、天井には大きな蜘蛛の巣が張っていた。人が住まなくなってからかなり時が経っているように窺える。見慣れない家具たちはもう使い物にならないだろう。煤を被った釜戸、大きな桐のタンスには深い傷がいくつもついていた。隅にはボロ雑巾のようなシミだらけの布団が積み重なっている。中の綿が近くに散らばっているところから、今夜は布団で眠ることは不可能だと直感した。
 目の前の惨状は夜闇の静寂によって薄気味悪さを濃く見せる。思わず唾を飲み込んだ。
「本当にここで寝んの?」
「仕方ねーだろ。我慢しろ」
「むぅ……」
 怖気付いて聞き直したものの、欲しい回答は得られなかった。サスケも怖いだろうに、どうしてこんなにも肝が据わっているのだろう。
 サスケはライトで照らした先へ物怖じした様子も見せずに進んでいく。土間を越えて土足で畳を踏む。シミや汚れまみれの畳はザリザリと悲鳴を上げていく。
 ふとサスケが立ち止まり、スポットライトのようにライトの光をグルグルと回し周囲の様子を見始めた。そうしてしばらく繰り返したのち、ナルトの方に振り向いてきながら地面を指差した。
「ここならまだマシだろう。ブレザーでも敷いて寝るぞ」
「お、おう」
 サスケが指す場所に向かう。そこは転がっているものも少なく、比較的綺麗な場所のようだった。ちょうど桐タンスの目の前だ。綺麗と言ってもシミや煤だらけなのには変わりはない。
 持っていた荷物を下ろし、言われた通り床に敷く。汚れてしまうのはこの際致し方がない。ブレザーもこんな役割を請け負う日が来るなんて思わなかっただろう。許してくれと心の中で謝っておく。
 さすがに寝そべるのは憚られ、腰を下ろすにとどめたものの当然座りは悪い。膝に顔を埋め目を閉じても眠気は訪れず、頭は冴えたままだ。もぞもぞと身体を動かしてみても一向に落ち着かない。無意識に吐いたため息にも嫌気が差した。
 明日になったら帰れるだろうか。そんな不安がずっと頭を占めていた。この場所で一人きりだったら、なんて考えると背筋が凍った。確実に恐怖で蹲りここまで動けなかっただろう。
 もしかしたらサスケが堂々としているのは、隣でオレが常に怯えているからかもしれない。そう思うと申し訳なさと同時に胸が少し温かくなった。昔から優しいやつなのだ、本当に。
 ――それなのにオレは。
 仕舞い込んでいたものがドッと溢れ出る。非日常なこの空間で忘れかけていたものが蘇り、自然と口を開いていた。サスケはすでに寝ているかもしれないが関係ない。ただこの感情を吐き出したかった。
「あのさ……あのときは、ごめん」
「卒業式にさ、オレってばガキみてーにキレちまった。笑顔で応援しなきゃいけないところだったのに。でも、オレはやっぱり、」
「んなことはわかってる」
「え?」
 隣から聞こえた声に、思わずドキリとした。起こしてしまったのかと一瞬思ったが、サスケの声はハッキリとしていて、寝起きのようには感じられなかった。
 顔を上げて振り返る。近くに座るサスケの表情は夜目にもしっかりと映った。優しく微笑む顔なんて、いつぶりに見ただろう。
 驚くナルトを置いてサスケは続ける。
「お前が素直じゃないことなんて、ずっと前から知っている。何年の付き合いだと思ってるんだ」
「う、」
「ただ、オレの態度も悪かった。ナルトに蹴られてハッとしたときにはもう遅かったんだ」
「サスケ……」
「すまなかった、ナルト」
 サスケが素直に謝るなんてこの付き合いの仲でそう何度もない。サスケ自身、相当後悔をしていたのだろう。
「サスケがオレのこと嫌いになったんじゃないかって、怖かったんだ。でもそうじゃねーんならいいってばよ」
 こうして話し合えてよかった。帰ったらもっと話がしたい。そして共に隣で笑い合う、あの頃のような日常を送るのだ。
 仲直りできたことが嬉しくてソワソワと浮かれてしまう。口角は上がるばかりで、腹の底から込み上げる喜びを抑えるのに必死だ。きっと隣にいるサスケには隠しきれていないだろう。
 せっかくならもう少し話したいところだけれど、帰るためには睡眠も必要だ。事実眠気も襲ってきている。サスケを盗み見ると小さく船を漕いでいた。慣れない場所で心を張り詰めたまま長時間歩いていたのだ。疲れもくるだろう。
「おやすみ、サスケ」
 小さく呟き顔を膝にうずめる。深い眠りには至らないだろうが、眠らないよりはマシだろう。硬い膝は枕に適してはいないが致し方ない。最初は居心地の悪さしか感じなかったはずなのに、数分も経たないうちに眠気がやってきた。
 ナルトが意識を手放そうとしたとき、ゴソリと布の擦れた音がした。
「おやすみ」
 低音は小さく、けれどしっかりと耳に届いた。掠れそうなそれは脳を甘く痺れさせる。急速に速まる鼓動を必死に抑え、足の間から覗き込むように視線を這わす。ナルトを動揺させた犯人は目を瞑っていた。呼吸のリズムから、眠っているようにも見える。
 急いで視線を戻し、ぎゅうっと瞼を閉じた。
(うわ……! なっ、なんだってばよ今の!)
 ただの寝る前のひと言。しかしサスケの声にいつもとは違う色を感じ取ってしまった。
 友人に向けるものとは明らかに違う。家族に向けるものなのかと言われれば、それはわからない。
 生まれたときから両親がいないナルトは家族愛というのを知らない。近所の人たちに大切に育てられて生きてきた。それで十分だった。
 しかしサスケのそれは初めて触れる優しさに溢れていて、ナルトを困惑させた。不可解な状況下に放り込まれた絶望。かと思えば久しぶりに会った親友と仲直りができ、気分は舞い上がった。そんな一喜一憂の中、親友はナルトの頭をパンクさせる。サスケは無自覚なのだろう。ナルトばかりが変に意識して、恥ずかしい。
 バクバクと煩い心臓を必死に宥め、夢の中へと意識を飛ばした。