ヨメイ*連載中 - 2/4

プロローグ

 はあ、と重たい息を吐く。思い返せば今日は一日ツイていなかった。
 朝から寝坊をした挙句大遅刻をかまし、クラスの前で赤っ恥をかいた。それなのに授業中は眠くて眠くて堪らなくて、居眠りしては怒られる。得意な体育の授業では初っ端足を挫いてしまい見学。放課後の部活にも参加できなかった。
 痛い足を引きずりながらとぼとぼ歩く。痛みは引いたが腫れてしまった。端的につらい。
 ふと明日提出の課題を学校に置き忘れたことを思い出し肩を落とす。
「なんか今日、ダメダメだってばよ」
 疲労感とともにある物哀しさ。十六にもなって不運な一日に泣くことはないけれど、込み上げるものはある。また重たいため息を吐いたところで気分は変わらない。
 寝不足というわけではなかった。むしろ普段より多く寝たぐらいだ。なのに抗えない眠気に振り回されてこのザマ。今日は本当にツイてない。
 課題は明日の朝にでもシカマルに写させてもらうとする。嫌な顔をするのは目に見えているが背に腹は変えられない。なんだかんだで貸してくれる優しさに甘えるとしよう。
 背中にじりじりと当たる夕陽が痛い。夏の陽射しのようにどこまでも追いかけてくる。見下ろした先に落ちる長い影がいつもより濃く、大きく見えた。気のせいなのかもしれない。でもなんとなく、易々と自分を飲み込んでしまえるような影が少し怖かった。なんだか気分が悪くなって顔を上げる。
「あれ? ここ、どこだ?」
 気が付かないうちに知らない場所を歩いていた。思わず足を止める。視界には荒れ果てた畑、そして山、山、山。それだけだ。本当に、それだけ。
 ナルトは幼い頃から過疎化が進んだ小さな田舎町に住んでいた。といっても、古い住宅がちらほら点在し、こぢんまりとした商店だってある。田舎の景色に慣れたナルトでも、ここは異様に映った。
 よく見ると道もおかしなことになっている。自宅の近くの道はいまだ舗装されていないものの、それでも車一台は通れる幅だった。それが人二人が歩けるほどの細い砂利道になっていた。岐路もない一本道がどこか遠くへと繋がっている。
 後ろを振り向いても同じ景色があるだけ。夕陽のオレンジが煌々と揺らめいて、まるで異世界だのようだった。
「なん……だ、ここ」
 言葉が尻すぼみになる。振り返ったまま立ちすくんでしまった。帰り道が見当たらないのだ。正確に言えば自分がどこから来たのかわからない。どこか夢の中のようで現実味がない。自分の存在すら曖昧にしているようなこの空間が恐ろしかった。自分の現状を理解した直後、心臓がバクバクと鳴り出した。
 雫がコロリと頬を撫でる。ああ、涙か。そう意識したとたん目の奥がカッと熱くなり、決壊したようにボロボロと流れ落ちていく。
「う、ぅっ……おれがぁっ、なにした、って……うっ、ゆー、だよぉ……」
 思い当たることなんてなにもない。たまにイタズラがすぎて怒られることがあるものの、犯罪はしてないし、きちんと反省すれば許される。成績もあまりよくはないけれど、こんな謎の現象に巻き込まれるほどのことなのだろうか。
 これからはちゃんと勉強する。イタズラも、しない。だから帰らせてくれ。親もいないなか街の人に支えられ必死に生きてきた。自分はよくやっていた方だと、頑張っていたと思っていたのに。
「――もしかして、おれ、死んだとか?」
 思考を停止した頭は碌に機能しない。恐怖が膨れ上がって、とんでもないことを思いつく。今日ツイてなかったのはこの現象の予兆だったのかもしれない、とか。
「い、いや! んなわけねーよ! そんな……」
 かぶりを振って否定しようとするも一度口から出した言葉が離れない。死後の世界なんて誰も知らない。天国に行けば雲の上の極楽浄土で楽しい日々を過ごし、地獄に行けば灼熱の釜で延々と茹でられる。そんなありがちなイメージしか持っていなかった。ならばここはどこだろう。想像の天国と地獄が本当であるなら、今いる場所はただ迷い込んだだけなのか。それともここが本当の死後の世界なのだろうか。
 わからなくなって、息を吐く。これはため息ではない。心を落ち着かせるためのものだ。
「とりあえず、人を探すか……」
 一歩でも動くのは怖かった。地面を踏んだ瞬間なにかが起こるのではないか、なんて考えてしまう。それでもこんな畑のど真ん中でジッとしていてもなにも変わらない。恐怖を飲み込んで足を一歩、前に出す。
 ――カサッ
「…………ッ!」
 足を踏み出した瞬間、背後にある畑の草が揺れた。風もないこの場所で枯れたような音が妙にクリアに聞こえてくる。
「ぁ……はっ、」
 ゾワリとした悪寒が全身を駆け巡り、身体は縛られたように動かなくなった。呼吸が浅くなる。
 背後になにかがいる。獣か、それとも。
 引っ込んだはずの涙がまた溢れそうになったとき、またカサリと草が揺れた。〝なにか〟が草の根をかき分けて近づいてくる。
 カサッ、カサカサカサカサッ、――ガサッ
「〜っ!」
「……ナルト?」
「ぅ、え? さ、さすけぇ……!」
「ばっ、おい!」
 突然聞き馴染みのある声に呼ばれて振り返れば、そこには制服姿のサスケがいた。荒れた畑からひょっこりと姿を見せているところからして、草を揺らしていた正体がサスケなのだとわかった。服についた葉を払いながら浮かべる苦々しい表情は、飽きるほど見てきたそれだ。
 安心感からドッと力が抜け、痛む足を忘れてサスケに駆け寄る。嫌な顔をされても無視だ。
「サスケ、本当にサスケだよな⁉︎」
「見ればわかんだろ。とりあえず離れろウスラトンカチ」
「うすらとんかちってぇ〜……!」
「お前な……」
 ついにはサスケお得意の軽口にまで感動を覚え泣いてしまった。間違いなく目は腫れるだろう。すでに足も腫れているというのに。
「わかったからいい加減に泣き止め。今どういう状況かわかってんのか」
 サスケの一言にハッとする。今は帰り道も、ここがどこかすらもわからない絶望の淵に立たされているのだ。奇跡的な再会に喜べたとしても、安心するのはまだ早い。心強い味方が増えたこと、それは逆に被害者がもう一人増えたともいえる。
「サスケも突然ここに?」
「ああ。気が付いたら山の麓にいた。すぐ近くで手入れされてない畑が見えたから、歩けば家の一つや二つはあるかもしれんと適当に歩いてきたが。まさかここにナルトがいるとはな」
「そっか……じゃあサスケもここがどこだかわかってねーんだな」
「そうだな」
 二人揃っても進展なし。お先真っ暗。ついでにいえばあんなに眩しかった夕陽も落ちて、文字通り真っ暗だった。街灯の一つもないのに星が見えない。闇の色をしたカーテンが空を覆っているようだった。
 虫の声も、人の気配もしない。シン、とした静けさが気味の悪さを存分に演出していた。
「あ。そーだスマホ! とりあえずケーサツに電話してみりゃなんかわかるかも」
 スマホの存在を失念していた。ライトがわりにもなるし、なにより唯一の連絡手段だ。使わない手はない。
 ズボンのポケットに手を入れる。無い。ブレザーのポケット。無い。背負っていたリュックをひっくり返すも、無い。
「な、ない……」
 遅刻に焦りながらも携帯を握って家を出た記憶はある。学校に置いてきたか、どこかに落としてきたのだろう。ここにきてなお今日の不運が続いていることに項垂れた。残る希望はサスケのスマホのみだ。
「期待しているところ悪いが、ここにきてからずっと圏外だ。ライト替わりにしかなんねーよ」
「そんなぁ」
 希望が絶たれた。それでも涙は出なかった。枯れてしまったからかもしれない。
 サスケがスマホのライト機能を起動した。そこそこの強さがある光は狭い範囲でも遠くまで照らしてくれている。今はこの光だけが頼りだ。
「とりあえず歩くぞ。バッテリーもいつまで保つかわからん」
「あ、ちょっと置いてくなよ!」
 ひっくり返したリュックの中身を無造作に詰めて、慌ててサスケを追いかけた。